F1 チーム詳細

F1 | マクラーレン 2019年

マクラーレン

イギリス

2018年成績
●PP:0回
●優勝:0回
●FL:0回
●表彰台獲得率:0%
●入賞率:30.95%
●完走率:80.95%

●チーム本拠地:イギリス・ウォーキング
●デビュー:1966年第1戦モナコGP
●活動年:1963年~
●出走数:842
●勝利数:182(初優勝:1968年第4戦ベルギーGP/最新優勝:2012年第20戦ブラジルGP)
●PP獲得数:155(初PP:1972年第11戦カナダGP/最新PP:2012年第20戦ブラジルGP)
●コンストラクターズタイトル:8(1974,84~85,88~91,98年)
●ドライバーズタイトル:12(1974,76,84~86,88~91,98~99,2008年)

■マクラーレン プロフィール

 英国を代表する名門で、F1初参戦は1966年。現存するチームのなかでは、2番目に古い歴史を持つ。ただ、『マクラーレン』の名前は不変でも、このチームには複数回の大規模な体制刷新があり、創設時のルーツがいまも引き継がれているわけではない。

 レーシングチームとしての起源は、63年に設立された『ブルース・マクラーレン・モーターレーシング』ということになる。創始者ブルース・マクラーレンはカテゴリーを問わず世界中を股にかけるトップドライバーとして当時知られ、F1には59年にデビュー。その年の最終戦で初優勝を記録した。22歳104日での達成は、2003年にフェルナンド・アロンソに更新されるまで、長く史上最年少ウイナー(かつてカレンダーに含まれたインディ500を除く)の座にあった。

 66年からチームはシャシーの自製を始め、F1にも参入。3年目の68年に当時開催されていた非選手権レースにまず勝利すると、同年第4戦のベルギーにブルース自身のドライブで正式なF1初優勝を果たす。

 ところが70年の6月、ブルースは自製スポーツカーをテスト中の事故で他界してしまう。チームは創設メンバーのひとりだった、テディ・メイヤーが引き継いだ。

 72年からチームは大規模スポンサーを迎えるようになり、74年にはタバコ大手の『マールボロ(=フィリップモリス社)』が参入。その初年度にコンストラクターズ選手権を初制覇、エマーソン・フィッティパルディが自身2度目でチームには初のドライバーズ王座をもたらした。76年はジェームス・ハントがドライバーズ王座獲得。だが78年からは、低迷期を迎える。

 これに業を煮やしたのがマールボロで、80年のシーズンを終えると下部カテゴリーで関係の深かったロン・デニスをチーム運営に送り込んだ。デニスはメイヤーと並ぶ共同代表となり、社名は『マクラーレン・インターナショナル』に変更。実質的にはデニスに指揮権が移り、メイヤーは82年終わりで株式一切を手放しチームを完全に退いた。

 デニス体制ではF1にターボ時代到来とともに、ウイリアムズのスポンサーだった『TAG』から資金を引き出してポルシェにエンジン製作を依頼。83年の終盤で、それまでのフォード・コスワース自然吸気から『TAGポルシェ』ターボにエンジンをスイッチした。

 84年はこのマクラーレン・TAGポルシェが猛威を奮い、16戦12勝。10年ぶりコンストラクターズ王座に返り咲き、ニキ・ラウダのドライバーズタイトルと2冠とする。85、86年はラウダを引き継ぐ形で、アラン・プロストがドライバーズタイトルを連覇。だが86年は、コンストラクターズ選手権をウイリアムズに奪われる。

 87年は無冠に終わるが、翌88年に向けてウイリアムズのパートナーだったホンダのエンジン供給契約を取りつける。同時にアイルトン・セナをドライバーに迎え、プロストとのコンビで16戦15勝を挙げる。セナがこの88年、F1がターボ禁止となった89年はプロスト、90、91年はセナがドライバーズ王座に就き、コンストラクターズ選手権4連覇とともに、『マクラーレン・ホンダ』は隆盛を極める。

 だが92年、ルノーにパートナーを変えたウイリアムズに敗れると、ホンダはこの年限りでF1を撤退。93年フォード、94年プジョーとエンジンサプライヤーを換え、95年からはメルセデスと手を組んだ。

 メルセデスとは長く蜜月を保ち、98年にミカ・ハッキネンがドライバーズ、チームはコンストラクターズの2冠を奪回。99年のコンストラクターズ王座は逃すも、ハッキネンがドライバーズ選手権を連覇した。

 その後しばらく王座からは遠ざかり、07年にはフェラーリからの機密漏洩問題を起こして、1億ドル(当時のレートで約114億円)の罰金を科された。

 08年ルイス・ハミルトンのドライバーズ王座が久々のタイトルとなる一方、翌09年4月にデニスはチーム代表の座から退く。このころにはマクラーレンは企業として巨大化し、09年には量産車部門を設立。デニスはその会長に就くことになったが、実際には『マクラーレン・グループ』のトップとしてF1チームにも院政を敷く。

 12年に1度デニスはグループCEOから退くが、14年に復帰。13年中には15年F1復帰のホンダとのコンビ復活が発表され、長年に渡るメルセデスとの関係は14年で解消となる。

 そして、マクラーレンは巨大化するなかで、次の事態が起こる。16年11月の株主総会で、持ち株が25%に過ぎなかったデニスをグループCEOから退任させることを決めたのだ。これでデニスの40年近くにおよぶ支配体制は終わり、翌17年6月にデニスは持ち株のすべてを売却した。デニスの影響力がおよばなくなったチームはホンダとの関係を絶ち、翌18年からのルノー・パワーユニット(PU)搭載を決める。

 12年を最後にレース優勝から遠ざかるチームだが、19年にはその年以後で最高のコンストラクターズランキング4位となり、新体制で復調の兆しを見せ始めた。なお20年はルノーPUを継続するが、21年からはメルセデスを再度サプライヤーに迎える。

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