F1ドライバー

F1 | セバスチャン・ベッテル(Sebastian Vettel) 2019年

セバスチャン・ベッテル(Sebastian Vettel)

ドイツ / フェラーリ /

ゼッケンNo. :5

●国籍:ドイツ
●生年月日:1987年7月3日(31歳)
●身長/体重:175㎝/62㎏

●出走:21回
●優勝:5回(勝率:23.80%)
●表彰台:12回(獲得率:57.14%)
●入賞:20回(入賞率:95.23%)
●完走:20回(完走率:95.23%)
●PP:5回(獲得率:23. 80%)
●Q3進出:21回(進出率:100%)
●Q2進出:21回(進出率:100%)
●FL:3回
●予選平均順位:2.61位
●決勝平均順位:3.15位

●F1デビュー:2007年第7戦アメリカGP
●在籍チーム:BMWザウバー(2007年アメリカGP)→トロロッソ(07年ハンガリーGP~08年)→レッドブル(09年~14年)→フェラーリ(15年~)
●出走:219回
●優勝:52回
●PP:55回
●FL:36回
●表彰台:111回
●入賞:179回
●通算獲得ポイント:2745点
●ドライバーズ選手権最上位:1位(2010年~13年/レッドブル)

■セバスチャン・ベッテル:プロフィール

 カートを始めたのは1995年。祖国ドイツの英雄ミハエル・シューマッハが、前年に初となるF1ドライバーズチャンピオンを獲得していた。

 そのカートを走っていた時代、98年には早くもレッドブル・ジュニアチーム(=ドライバー育成プログラム)に名を連ねている。カートで数々のタイトル獲得を重ねたのち、2003年にフォーミュラレースに転向した。

 手始めはドイツでフォーミュラ・BMWに参戦。1年目でランキング2位、2年目は20戦18勝という圧倒的な戦績でシリーズチャンピオン獲得を果たす。翌15年からF3ユーロシリーズに進出する。

 このユーロF3はルイス・ハミルトンに圧倒的に支配されたシーズンであり未勝利に終わったものの、当時BMWがパートナーシップを結んでいたウイリアムズで9月に初のF1ドライブ機会を得る。その後、06年に向けてBMWはザウバーにパートナーを切り換え、「BMWザウバー」とワークスチーム化した。ベッテルは、そのテスト走行にも参加する。

 06年はユーロF3で4勝を挙げる一方、当時のフォーミュラ・ルノー3.5にもスポット参戦して2勝。この年の8月、BMWザウバーはジャック・ビルヌーブの離脱でロバート・クビサがレギュラー昇格、サードドライバーの後任にベッテルは指名を受ける。レッドブル・ジュニアの契約下ではあったが、貸し出される形だった。第14戦を皮切りに最終戦までの5レース、FP1のドライブを担当する。

 07年はフォーミュラ・ルノー3.5を主戦場としながら、BMWザウバーでの仕事も続行。クビサが第6戦カナダで大クラッシュを喫し、次戦インディアナポリスの出走にドクターストップがかかる。ベッテルは急きょ代役として、F1デビューを果たすことになった。

 結果、レースを8位完走。19歳349日で、F1の史上最年少入賞記録(当時)を樹立する。クビサの復帰でBMWザウバーからの参戦はこの1戦限りだったものの、活躍にレッドブルが動いた。第11戦時点からトロロッソのレギュラーシートが与えられ、最高位4位でシーズンを終える。

 そのトロロッソのシートは、翌08年も継続。そして、大雨に見舞われた第14戦イタリア、驚愕の事態は起きた。

 当時、レッドブルとほぼ同一のシャシー設計だったとはいえ、セカンドチームに過ぎないトロロッソでベッテルはポールポジションを獲得。翌日のレースも制してしまうのだ。21歳72日のポール、同73日の優勝はいずれも史上最年少記録(優勝は当時)であった。

 当然の如く、09年はレッドブルに昇格。第3戦中国でレッドブルに初優勝をもたらす。この年は4勝を挙げて、ドライバーズランキングの2位まで登り詰めた。

 ここからはレッドブルとベッテルの時代だ。10年に5勝で最終戦の逆転のドライバーズチャンピオン初戴冠を果たすと、2年前にハミルトンがつくったばかりの史上最年少王座記録を23歳134日に更新。11年11勝、12年5勝、13年13勝で、ベッテルはチームとともにタイトルを4連覇した。

 だが14年にF1新パワーユニット規定が導入されるとメルセデスが猛威を奮い、勢いは失われる。レッドブルはチームとして新加入ダニエル・リカルドが3勝を得るものの、王座陥落。ベッテルは未勝利に終わり、秋の鈴鹿で翌15年からのフェラーリ移籍が発表される。この15年は、F1のカーナンバー固定制元年。ベッテルは5を選んだ。

 フェラーリも前年未勝利であったわけだが、第2戦マレーシアでベッテルは早くも移籍初勝利を遂げる。予選2位からのピット戦略を駆使した、逆転勝利だった。第10戦ハンガリーで2勝目。第13戦シンガポールでは自身2シーズンぶりとなるポールポジション獲得を果たすと、危なげないレース運びで3勝目を挙げた。メルセデス勢に続くドライバーズランキング3位でシーズンを終え、フェラーリとともに前年からのV字回復を果たす。

 だが16年、期待が膨らむなかで臨んだシーズンは接触アクシデントも多く、またも未勝利に終わる。

 17年はクルマの大幅な空力規定変更に、フェラーリがうまく対応した。開幕戦オーストラリアをベッテルは予選2位から勝利。第6戦までに3勝、その後しばらく勝利から遠ざかるが、第11戦ハンガリーで4勝目を挙げてドライバーズランキング首位でサマーブレークを迎える。

 ところがこのサマーブレーク明けにメルセデスの反撃に遭い、残るシーズンは9戦で1勝に留まってハミルトンの後塵を拝した。

 18年は開幕2連勝でチャンピオンシップの主導権を握ると、第10戦までに4勝を挙げて前年と同様、ハミルトンとの間で激しいつばぜり合いを演じる。ところが第11戦、母国ドイツで単独クラッシュによりレースを失うと、その後はドライバーエラーを連発して1勝の上乗せしかできず、ハミルトンに自身を上回る5冠目タイトルを許した。19年は新鋭シャルル・ルクレールがチームに加わり劣勢を強いられ、第15戦のシンガポールでようやくの1勝。なす術なく、ハミルトンに6冠目を献上した。

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