F1ドライバー

F1 | ルイス・ハミルトン(Lewis Hamilton) 2019年

ルイス・ハミルトン(Lewis Hamilton)

イギリス / メルセデス /

ゼッケンNo. :44

●国籍:イギリス
●生年月日:1985年1月7日(33歳)
●身長/体重:174㎝/66㎏

●出走:21回
●優勝:11回(勝率:52.38%)
●表彰台:17回(獲得率:80.95%)
●入賞:20回(入賞率:95.23%)
●完走:20回(完走率:95.23%)
●PP:11回(獲得率:52. 38%)
●Q3進出:20回(進出率:95.23%)
●Q2進出:21回(進出率:100%)
●FL:3回
●予選平均順位:2.47位
●決勝平均順位:1.95位

●F1デビュー:2007年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:マクラーレン(2007~12年)→メルセデス(13年~)
●出走:229回
●優勝:73回
●PP:83回
●FL:41回
●表彰台:134回
●入賞:192回
●通算獲得ポイント:3018点
●ドライバーズ選手権最上位:1位(2008年/マクラーレン、14~15年、17~18年/メルセデス)

■ルイス・ハミルトン プロフィール

 父方の血はアフリカを起源とし、祖父の時代にカリブ海の小国グレナダから英国に移住してきた。父は英国人として家庭を設け、その長男として生まれるが、両親はわずか2歳で離婚した。

 意外なところから、その才能は見出された。当時ハミルトンは母と暮らしていたが、6歳のときに父からラジコンカーをプレゼントされる。そのラジコンで、大人も参加する大会で好成績を収めた。これは実際のクルマをコントロールする能力にも長けていると考えた父は、その年のクリスマスプレゼントにカートを贈った。

 2年後の1993年、カートでの本格的なレース活動を始めると、95年にカデット(将来有望な若年層)クラスで英国チャンピオンを獲得。もうひとつタイトルも手にし、英オートスポーツ誌が主催する年間表彰式に参加した。

 その際、当時マクラーレンを率いていたロン・デニスと会話をしており、これがF1の世界との初めての関わりとなる。さらに毎年のようにカートでタイトルを積み上げ、2年もすると、今度はデニスのほうからコンタクトがあった。13歳となる98年からマクラーレンと当時パートナー関係にあったメルセデスが共同で行なっていた若手ドライバー育成プログラムと、正式契約を結ぶ。

 2001年、16歳のときまでハミルトンはカートを続けた。この時代にチームメイトとして、のちにF1でしのぎを削り合うことになる同い年のニコ・ロズベルグと出会う。01年の年末がもう押し迫るなか、英国内のフォーミュラ・ルノー・ウインターシリーズ参戦。フォーミュラレース進出を果たす。

 02年からは同レギュラーシリーズ参戦、1年目は選手権3位で終え、2年目に10勝を挙げてチャンピオンとなった。F3ユーロシリーズにステップアップした04年は、1勝で選手権5位に留まる。当時ウイリアムズからの接触もあったが、秋にマクラーレンで初のF1ドライブを経験する。

 ユーロF3の2年目はチームを移籍、20戦中15勝でシリーズを制圧。タイトルを手に翌06年はF1直下のGP2(FIA F2の前身)に参戦、1年目で5勝を挙げてネルソン・ピケJr.とのチャンピオン争いを制した。マクラーレンと契約を結んで9年、ついにF1進出への態勢が整う。

 07年、デビューシーズンのチームメイトは、当時ドライバーズ選手権を2連覇中のフェルナンド・アロンソだ。黒人を起源とする初のF1ドライバーということに当初スポットライトが当たりがちだったが、1年目からこのアロンソと渡り合ったことで、そんな声をかき消した。

 第6戦カナダで初めてのポールポジションを獲得すると、そのままレースでも初勝利。計4勝を挙げて、F1史上初となるデビューシーズンのドライバーズ王座獲得に近づく。しかし最終戦ブラジルで自らのミスもあって優勝したフェラーリのキミ・ライコネンに1ポイント差の逆転を許して偉業ならず。シーズン中盤から確執が起きたアロンソとは同ポイントで並び、優勝回数も同じだったが、上位入賞の差でランキング2位を手にした。

 08年はマクラーレンを1年限りでアロンソが離脱し、名実ともにチームのエースを務める。5勝を挙げ、ふたたび選手権リードで迎えた最終戦ブラジル。5位以内で王座確定の状況だったが、この日開催地サンパウロを見舞った雨にハミルトンは翻弄される。最終ラップを迎えて6位。だがこの周の最後の区間でどうにか5位を得て、劇的なドライバーズタイトル獲得を果たす。史上最年少記録の王座(当時)でもあった。

 だが、そのまま12年までマクラーレンに在籍するも、再度の王座獲得はならず。13年のメルセデス移籍を決意する。ただ当時は、メルセデスは10年のワークスチーム復帰から1勝しか挙げておらず、この決断は多くの疑問の声を呼んだ。

 チームメイトは若きカート時代をともに過ごしたロズベルグ。13年は第10戦ハンガリーで1勝を手にするに留まったが、翌14年F1に新パワーユニット規定が導入されたことで情勢は大きく変化した。新規定導入がメルセデス1強時代を演出。この年からの固定カーナンバーでハミルトンは44をつけ、ロズベルグとの間でチャンピオンシップ一騎討ちとなる。ハミルトンは19戦11勝を挙げてロズベルグを下し自身2度目の王座を獲得するが、ふたりの関係は壊れた。

 15年、チャンピオンの権利としてハミルトンはカーナンバー1を使うこともできたが44を選択し、慣例を崩す。選手権はハミルトン連覇、だが翌16年はロズベルグが一矢を報いる。自身初のドライバーズタイトルを手土産に、この年限りでロズベルグはF1を去った。

 17年からはバルテリ・ボッタスをチームメイトに迎え、同年第13戦イタリアで通算のポールポジション獲得回数を69とし、前戦でミハエル・シューマッハと並んでいたF1歴代最多記録を更新。この17~19年とドライバーズチャンピオンシップを3連覇、王座獲得回数もそのシューマッハ7回に次ぐ、史上単独2位の6としている。

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