F1ドライバー

F1 | ケビン・マグヌッセン(Kevin Magnussen) 2019年

ケビン・マグヌッセン(Kevin Magnussen)

デンマーク / リッチ・エナジー・ハースF1チーム /

ゼッケンNo. :20

<b>●国籍:</b>デンマーク
<b>●生年月日:</b>1992年10月5日(26歳)
<b>●身長/体重:</b>173cm/68kg

<b>●出走:</b>21回
<b>●優勝:</b>0回(勝率:0%)
<b>●表彰台:</b>0回(獲得率:0%)
<b>●入賞:</b>11回(入賞率:52.38%)
<b>●完走:</b>18回(完走率:85.71%)
<b>●PP:</b>0回(獲得率:0%)
<b>●Q3進出:</b>10回(進出率:47.61%)
<b>●Q2進出:</b>18回(進出率:85.71%)
<b>●FL:</b>1回
<b>●予選平均順位:</b>10.52位
<b>●決勝平均順位:</b>10.27位

<b>●F1デビュー:</b>2014年第1戦オーストラリアGP
<b>●在籍チーム:</b>マクラーレン(2014~15年オーストラリアGP <決勝非出走>)→ルノー(16年)→ハース(2017年~)
<b>●出走:</b>81回 ●優勝:0回
<b>●PP:</b>0回
<b>●FL:</b>1回
<b>●表彰台:</b>1回
<b>●入賞:</b>30回
<b>●通算獲得ポイント:</b>137点
<b>●ドライバーズ選手権最上位:</b>9位(2018年/ハース)

■ケビン・マグヌッセン プロフィール

 父ヤンもレーシングドライバーで、21歳で英国F3のタイトルを獲得。その年にはマクラーレンでF1初走行に臨み、翌1995年に正式なテストドライバーとなった。この年マクラーレンのレギュラーだったミカ・ハッキネンが虫垂炎の緊急手術を受けたことで、第15戦となる日本開催のパシフィックGPで代役出場し、F1デビュー戦を10位完走。96年をもってマクラーレンとの契約を解かれると、翌97年にこの年からの新興スチュワート(レッドブルの起源となるチーム)入りし、デビューシーズンのフル参戦を託された実績がある。

 98年の途中でヤンはスチュワートを放出され、F1でのキャリアはそこで終えたが、スポーツカードライバーとしてはなお現役だ。

 そんなヤンの息子としてケビン・マグヌッセンは生まれ、当然のように幼少期からカートに親しんだ。地元デンマークでレースを始め、カートの国際舞台登場は13歳を迎える2005年。主要タイトルの獲得こそないが、いくつかの国際レースを制す。

 3年後の08年にフォーミュラ転向。1年目はデンマークのフォーミュラ・フォードを走り、11勝を挙げシリーズチャンピオンとなる。

 09年はフォーミュラ・ルノーで北ヨーロピアンカップ(NEC)とユーロカップにエントリー。ユーロカップは未勝利のシリーズ7位だったが、NECは1勝と12回の表彰台を記録して総合2位、ルーキーオブザイヤーを手にした。10年はドイツF3を主戦場とし、3勝でランキング3位となり、ここでもルーキーオブザイヤー獲得。ユーロF3にも2レースにスポット参戦した。

 この年には当時マクラーレンとメルセデスが共同で行なっていた、ヤングドライバープログラムにも加わる。父子2代のマクラーレンの契約ドライバーとなった。

 翌11年は英国F3で7勝したもののランキング2位に留まり、父と同じ同選手権の制覇はならず。国際レースの『マスターズF3』でも3位を得た他、『マカオGP』にも出走した。

 そして12年2月に、マクラーレンからはF1の初走行機会が与えられる。シーズン中にもシミュレータ作業を任されるなど、F1ドライバーとしての育成が本格化する。参戦カテゴリーとしてはフォーミュラ・ルノー3.5に進出し、1勝と3回の表彰台でランキング7位だった。なお、11月に行なわれたアブダビF1合同テストにも参加している。

 13年はマクラーレンでサードドライバーに昇格、シーズン中のテストも担当した。チームを移籍した2年目のフォーミュラ・ルノー3.5では5勝し、シリーズタイトルを獲得。11月にマクラーレンから、14年のレギュラー起用が発表された。

 父のなし得なかったマクラーレンのレギュラーとして臨んだ14年開幕、デビュー戦となったオーストラリアではいきなり予選4番手タイムをマーク。レースは3位でチェッカーフラッグを受ける。デビュー戦表彰台は、同じくマクラーレンの07年ルイス・ハミルトン以来。さらに2位フィニッシュだった当時レッドブルのダニエル・リカルドがこの年から導入のパワーユニット最大燃料流量規定違反で結果除外とされ、公式記録は2位に繰り上がりとなる。

 まさしく華々しいF1デビューとなったが、その後はチームの開発が停滞。表彰台の再現はなく、翌15年にはフェルナンド・アロンソが移籍してくることで、ドライバーズランキング11位で終えたマグヌッセンはふたたびサードドライバー契約に戻されてシートを失う。

 そのアロンソが開幕前の新車テストで大クラッシュ。ドクターストップがかかったことで15年開幕戦オーストラリアを代役出場として迎えることになるが、この年からF1復帰してマクラーレンと組んだホンダ・パワーユニットがレース前のレコネッサンスラップで白煙を噴き、スタートはかなわず。アロンソ復帰でこれがマクラーレンからの最後のエントリーとなり、10月にはチーム離脱が発表される。

 16年はワークスチームを復活させたルノーに在籍、組織再建中の状況下でクルマの競争力不足に苦しみ、入賞2回に留まる。

 翌年に向けたルノーからの残留オファーはあったが1年契約とされ、複数年を提示してきた17年が参戦2年目のハースに移籍を決めた。ハース1年目は獲得ポイントで先輩チームメイトのロマン・グロージャンを下回ったものの、入賞5回を果たす。

 18年はクルマの好調も手伝って入賞を11回に伸ばし、年間のドライバーズランキングでも自己ベストの9位を得て、14位グロージャンを下した。新たな複数年契約を手に入れた19年はチームが前年5位から9位にコンストラクターズランキングを下げるなか、グロージャンとの対決には2年連続で勝利している。

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